閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 嵯峨野散策
 
  初めて嵐山を訪れたのは関西に来て間もない頃のこと、もうかれこれ50年近くになる。さすが頼山陽が山紫水明の地と讃えただけあって、山は青く水は清らかである。川岸に点在する料亭は豪華の中にもシックな佇まいを見せている。嵐山というところは何とすばらしいところかと思った。それから幾たびかこの地を訪れた。嵐山から嵯峨野にかけての散策路は四季折々姿を変えて、我々を誘ってくれる。そこには自然と文化と歴史が一体となって息づいている。

  訪れる人は少ないが、渡月橋から保津川の右岸に沿って暫く上っていくと、山の中腹に大悲閣千光寺という寺がある。此処に角倉了以が祀られている。了以はすぐ下を流れる保津川が岩が多く急流で、船の往来が侭ならないのを見て、この岩を削るという大工事に着手した。ローレライのような話であるが。若い僧が了以のことは辻邦生さんの嵯峨野明月記に書かれていますと言っていた。なかなかこの僧読んでいる。
  障子を開けると対岸の小高い丘に大河内山荘の展望台が見え、誰かが盛んに手を振っている。ふと川下に目をやると、遥か京都の町が霞んで見える。

  渡月橋を渡り、駅前の喧騒を避け、亀山公園に上る。周恩来の来日記念碑が建っている。そう言えば孫文が日本に亡命した時に嵯峨野にいた事がある。そのとき宗三姉妹の末娘と結婚した。その経緯は中国映画「宗三姉妹」に詳しい。
  亀山公園を通り抜けると大河内山荘の入り口に出るが、少し戻って先に天竜寺に参る。
先ず今年公開されたばかりの塔頭法厳院に入る。苔むした巨石・名石が随所に配され、庭内狭しと楓が植えられている。秋にはさぞ紅葉の名所となる事であろう。此処の塀の外側の道はよく時代劇のロケに使われるようで、何となくその雰囲気がある。天竜寺の新緑
  天竜寺は足利尊氏の創建になる臨済宗の名刹。京都五山の一つ。嵐山を借景にした回遊式庭園は京都の三名庭に数えられている。紅葉も良いが新緑の美しさは例えようもない。
  天竜寺の裏口を出て暫く行くと大河内山荘の入り口が見えてくる。言う迄もなく、往年の時代劇の名優大河内伝次郎の別荘であったもの。緑豊かな回遊式庭園。展望台からは保津川を眼下に見て、対岸の嵐山が迫り、四季折々すばらしい景観が望める。前述した千光寺が緑の中に埋まって見えている。

  山荘を出て見事な竹林の中を暫く進んでいくと、常寂光寺に出る。この寺に会社の先輩が住んでいた。結婚間もない頃遊びに行った事がある。まだ観光客も訪れない頃で、寺は静寂そのものであった。本堂の縁に座っての語らいは楽しい思い出である。不思議な事があるものだ。それから30年、あるツアー旅行でイタリアに行ったときの事、同行の人が京都に住んでいるというので、どちらかと聞くと、何と常寂光寺と言うではないか。社の先輩の後に住んだとのこと。此処から大阪に通うのは不便だがこんな所に住んでみたいものだと思った。尤も昨今の人ごみではお断りだが。
  常寂光寺の参道と石段の紅葉はすっかり有名になってしまった。この寺の裏山に時雨堂跡がある。吉永小百合と渡哲也が「時雨の記」と言う映画の中で此処の時雨堂跡で密会するシーンがある。その時ザァーと時雨が来た。

  人波に乗って更に北に進む。右側が開け、畑の向こうに茅葺の屋根が見えてくる。落柿舎である。去来の閑居、芭蕉も訪れ嵯峨野日記を此処で書いたと言う。入り口に俳句の投函箱がある。優秀作品は句誌「落柿舎」に掲載される。
  程なく二尊院の前に出る。此処の参道の紅葉もまた見事だ。
   散紅葉 此処も掃きいる 二尊院      虚子
釈迦如来と阿弥陀如来と本尊が二体あるので二尊院の名がある。天台宗の古刹。この寺は田村家の菩提寺でもあり、阪妻の墓が境内にある。そう言えば角倉了以の墓も此処にある。更に山を上れば御陵が並ぶ。なかなかの格式の寺である。

 この先の十字路を左に折れると祇王寺。その奥に滝口寺がある。平清盛の寵愛を受けていた白拍子祇王が、清盛の寵が仏御前に移ったので此処に隠棲、念仏三昧に暮らしたと言う。此処の楓は丈が高く幹や枝が細い。祇王寺の紅葉一面に敷き詰められた苔の上に散紅葉が映え、よくグラビアに紹介されている。
  祇王寺の奥に滝口寺が。平家物語に出てくる滝口入道と横笛の悲恋に由来する。祇王寺の喧騒に比べ訪れる人も少なく、狭い庭も寂しげである。
  先ほどの十字路に戻り、右に折れれば厭離庵、藤原定家が小倉百人一首を編んだ小倉山荘跡と伝えられている。狭い庭に背の低い楓が二、三本あるだけの静かな庭。そう言えば定家の墓もこの近所にある。

  嵯峨野巡りの道も随分開けた。この辺り食事どころ、喫茶店、おみやげ屋等いかにも女の子の好きそうな作りで並んでいる。シーズンには店外まで行列が出来なかなかありつ
けない。
  やがて一番北のはずれに化野念佛寺が見えてくる。境内一面に石仏が並ぶ。空海が無縁仏のために如来寺を建立したのが始まり。八月二十三、二十四日には「千灯供養」が行われる。石仏にろうそくを灯して供養する。嵯峨野の夏の風物としてよく紹介されている。
  この寺の上の道を行けばトンネルをくぐって清滝に出る。愛宕山の登山口。なかなか高いのでまだ登っていない。そこで清滝川に沿って歩くことにする。この渓谷は美しい。左右の山は迫り水は清らかである。春は新緑、秋は紅葉とハイカーの目を楽しませてくれる。上に向かえば高尾、下に向かえば嵐山。何れも一時間以内の行程。素葉らしいハイキングコースと言えよう。
  
  念佛寺から少し引き返し、東に進むと嵯峨釈迦堂として知られる清涼寺に出る。信心より食い気、門前の森嘉の豆腐屋に寄る。此処の豆腐は東京まで土産に持って帰る人がいる程だが私は寧ろ薄揚げを勧めたい。軽く炙って口に入れた時の感触が何ともいえない。
  釈迦堂を後に東に進むと寂庵が見えてくる。瀬戸内寂聴が開いた庵。此処で寂聴の説教が聴ける。瀬戸内晴美が仏の道に入った経緯は自著「比叡」に詳しい。寂聴さんも入信前は大分わるだったようである。
  田畑の広がる中を15分ぐらい歩くと大覚寺に着く。嵯峨天皇の離宮跡を寺院として創建したもので、真言宗の門跡寺院になっている。また生け花の嵯峨御流の家元としても知られている。広大な寺院の前には大沢の池が広がる。中秋の名月には船が出て管弦が奏される。
  池の周囲は散策に良いが、此処でよく時代劇のロケが行はれる。この寺の縁に座って池を眺めていると、平安の昔からの歴史がしのばれてくる。
  嵯峨野散策も終わりに近いが、まだ一つだけ見逃してはならない所がある。大覚寺から少し山の方に向かって歩くと、楓の林の中に小さな庵が見えてくる。直指庵と言う。此処に置かれているノートには、女性の悩みが色々書かれている。駆け込み寺である。ここまで来ると嵯峨野の喧騒は無縁だ。縁側に座って小さな庭を眺めながら、嵯峨野散策で出会った風景を思い出しながらしばし休息する。
    
  嵯峨野には楓が多い。それだけに紅葉の頃の人出は尋常でない。車は動かない。最近パーク・アンド・ライド方式を取り入れたようだが上手くいっていないようだ。それにも増して人が詰まって動かないと言うのは困ったものだ。その昔の常寂光寺の静寂が懐かしい。私は秋は敬遠して専ら新緑の頃訪れることにしている。紅葉の侘しさも良いが、燃えるような新緑も捨てがたい。自分も観光客の一人だから文句も言えないが、この美しい嵯峨野をいつまでも昔の姿に止めておいて欲しい。

                        ( 2002・11 )