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資本主義はなぜ自壊したのか

              中谷 巌

マイケル・ムーア監督が「キヤピタリズム」と言う作品を世に問うた。少し前のこと、ムーア監督は「シッコ」と言うアメリカの医療問題を扱った作品で、大きな話題を呼んだ。

貧乏人は病気になって医者にかかれなくても仕方がないと言う社会。ムーアはここに鋭く一石を投じた。今回の映画「キャピタリズム」はリーマン・ブラーザースの倒産に端を発した、金融資本主義の崩壊について告発したものである。

  「シッコ」では貧しい老婆が医療費を払えず、タクシー代ワン・メーターを握らせ、病院を追い出すシーンが、誠に哀れであった。「キャピタリズム」の方では、住宅購入の為のローンが払えず、立ち退きを専門にしている暴力団まがいの連中がやってきて、家具を運び出すシーンが強烈な印象を与えた。

  ムーアはキヤピタリズムを告発している。自分自身で単身大企業や政府に乗り込んで、

責任者に面会を求めるが、ことごとく門前払いを食らう。ムーアはわずか1%の富裕層が底辺の95%の合計より多い冨を有し、独占的に支配している社会を告発している。そしてこの映画はリーマンの事件が起こる前にすでに相当部分作られていたとも言っている。

  先日テレビを見ていたら、アメリカのドラマを流していた。善良な家庭にセールスマンがやってくる。住宅ローンを組ませる。最初の金利はサービスで安い。それがやがて高くなるのだが、セールスから何の説明もない。パンフレットの隅に小さく書いてあるに過ぎない。セールスは不動産の値上がりの話ばかりする。やがてローンが返済できなくなる。立ち退きを迫られ、やむなく自動車の中で過ごす。こんな話があちこちで起こっているようだ。

  中谷巌教授が「資本主義はなぜ自壊したか」と言う本を書いた。教授は若い頃ハーバードに留学していたことがある。その頃のアメリカは正にドリームの生活。郊外の芝生に囲まれた瀟洒な家に、車や家電製品が溢れて、親子揃って楽しく暮らしていた。貧乏な日本から見れば、正に夢のまた夢であった。

  アメリカには豊かな中流階級があったのだ。それがどうであろう、最近アメリカを訪れると何か違うのである。芝生に囲まれた美しい夢はどうしたのであろう。いまや借金に追われて住むところもない始末。

  教授がアメリカに留学した時は、自由な資本主義経済について徹底的に教え込まれた。

教授は最初抵抗があったが、この豊かな社会を見てそれに同調するようになった。帰国後教鞭をとり、このアメリカの資本主義について説くのだが、若い日本の学生は何となく納得がいかないようであった。当時の日本は、官主導の諸規則の下に日本株式会社で成長を続けていたのであるから。  

  しかし日本も次第に成長が鈍化してきた。これは規制がやたらと強化され、経済活動が制約されるからだ。規制をはずし、評価は市場に任せればよいと言う声が次第に大きくなってきた。

  教授は細川内閣、小渕内閣のとき、政府の経済政策の諮問委員をしていた。教授は改革派の急先鋒として活動を始め、規制撤廃を主張した。業界は官庁や政治家と組んで、この動きを潰しにかかった。抗議の電話が頻繁にかかるようになった。そして多くの業界から危険人物と目されるようになった。

  「改革なくして成長なし」教授は全ての規制をはずし、評価は市場に仰げと言うグローバル資本主義の考え方の急先鋒となった。そしてその考え方が小泉内閣に引き継がれ、国民の圧倒的支持を得て逐次実行に移されていった。かくして日本もアメリカと同様、中流の衰退、格差社会への移行という現象が起こってきた。教授はこれまで学んできたこと、考え主張してきたことが間違っていると思い始めた。

  あのアメリカの中流階級が、緑の芝生に囲まれて豊かに暮らしていたのは、実は、かの大恐慌の後のルーズベルトの政策、ケインズの政策がフイットしたからではないのか、と思い始めた。唯それが余り長すぎて次第に大きな政府の行き過ぎが見られたのではないのか。

  教授は此れまでの考え方、行動の誤りを率直に認め、懺悔の書「資本主義はなぜ自壊したのか」を上梓した。何でも自由、その結果を評価するのは市場と言う考え方は間違っている。儲けさえすれば何をやっても良いと言うことになってしまう。才覚あるものが巧みに世の中を泳ぎ成功していく。次第に世の中の格差は拡大していく。色々な歪が生じてくる。挙句の果て、社会は自壊の道を辿ることになる。

  大きな政府も駄目、何でも自由も駄目、つまり何事にもバランスと言うものが必要なのである。

  広瀬隆と言う人が「資本主義崩壊の主謀者達」と言う本を書いている。100年に一度と言われる大恐慌は一体誰が起こしたのであろうか。最大の責任者はロバート・ルービンとアラン・グリーンスパーンという。彼らは銀行に証券業務を認めさせ、バブルの元凶を作った。我々はルービンとかグリーンスパンと言えば、財政・金融の神様のような存在と思っていたのが、大恐慌の責任者とは。

  アメリカでは大企業とか大金持ちのロビー活動はすざましいものがあるようだ。自分に有利な制度を作らせ、後は何でも自由、評価は市場に任せろというのではやりたい放題、儲け放題と言うことになってしまう。此れでは一般市民はたまったものではない。

  先日テレビで面白い番組をやっていた。たけしが司会者で、在日外国人が出席して討論会をやっていた。それぞれのお国振りが出ていて面白かった。デンマークが「教育・医療・年金が整備されていて老後も心配ない」と言うと、日本が70%以上も税金をとられてはたまったものじゃないと反論、追いかけアメリカが,働く人の努力に応じ、よい生活がおくれる方がよいと反論。日本人が努力してたまには美味しい料理を食べに行くのもよいでしょうと言うと、デンマークは家で作って食べればよろしいと冷たく言い放った。両者の言い分は何処まで行っても平行線、それぞれのお国柄が出ていて面白かった。

  フランス革命で「自由・平等・博愛」と言った。しかし自由と平等とはなかなか一致しない。各国とも自由と平等の間で揺れ動いている。そのバランスが取れている国は安定している。それにしても今回のリーマン・ショックを見ていると、まるでヤクザと素人のやり取りのように思える。賭場に素人を言葉巧みに誘いこむ。最初は勝たせる。負けが込んでくるとお金を貸す。その内借金が払えなくなくなると、身ぐるみ剥がされる。素人はたまに勝たせてもらうと自分の腕と勘違いして次第に入れ込んでいく。素人は賭場に近づかないことだ。

  中谷教授の今回の「資本主義は何故自壊したか」は内容については殆ど触れなかったが、誠に勇気ある発言である。

                      ( 2010.05 )