閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 ミュージック・オブ・ハート

  久しぶりに、ほのぼのとした感動を覚えた。戦後「オーケストラの少女」という映画がやって来て評判をよんだ。ディアナ・ダービンと言う可愛らしい少女が主演、大変な人気を博した。そのラストはとても感激的であった。あるオーケストラが解散の憂き目に会い、メンバーは失業してしまった。その一員の娘ダービンが、世界的名指揮者ストコフスキーを連れてきて、団員の演奏にまんまと乗せて指揮棒を振らせてしまう。
  このミュージック・オブ・ハートのラストシーンも、学生達の演奏会に、アイザック・スターンやイッツアーク・パールマンと言う世界の巨匠達が共演すると言う大変感動的なものであった。
  この映画を観るといささか出来過ぎではないかと思われるが、実話に基づいて作られたもので、現に主人公の女性のバイオリニストが先日来日したことが日経紙に報ぜられていた。メリル・ストリープが楽しそうに演じていたのが印象的。
  主人公ロベルタ・ガスパリーは夫と別れ、二人の子供を連れニュージャージィの実家に帰っていた。偶々勤め先のスーパーで友人に会う。友人はバイオリンを得意とするロベルタに学校の先生になる事を勧める。所が紹介された学校はイースト・ハーレムにあって、とてもバイオリンを教えるような環境にない。学校も一度は採用を断るが、ロベルタの熱意に負け、バイオリンの特別教室の臨時教員として採用する。
  これがロベルタの苦難の始まりである。生徒はハーレムの黒人の子。先生がギリシャで仕入れてきた50挺のバイオリンを玩具にして遊ぶ。先生は躾が厳しい。生徒を怒鳴りまくり、バイオリンの猛練習を始める。生徒は反抗しながらも、徐々に先生の熱意に負け、練習に励むようになる。学級崩壊に悩むわが国の先生に見せてやりたい。
  最近教育問題を論ずると、決まって、好きな事を自由にやらせればいいと言う人が居る。果たしてそうであろうか。この子供達は最初からバイオリンが好きで集まってきたのではない。自由に練習させているのでもない。
  子供達が次第に乗ってきたときに、困った事が起こった。家の方からのクレーム。毎日狭い家の中で、鋸の目立てをやられては堪らない。それに白人の先生に対する反撥もある。それでも先生は頑張り、やがて親たちも協力的になってきた。学校で開かれた演奏会に親たちも必死の応援。やがて一期生も去り、教室の評判も上がり、人もおのずと集まるようになってきた。
  その頃グァルネリ・クワルテットのアーノルド・スタインハートが、この子供たちの演奏を聞いた事がきっかけになり、チャリティ・コンサートが開かれる事になった。その話にアイザック・スターンが乗った。そして自ら館長を勤めているカーネギー・ホールで演奏会が開かれる事になった。そのうえ遂に天下の巨匠イッツアーク・パールマンまでも参加する事となった。演ずるはバッハの二つのバイオリンの為の協奏曲。先輩も加わり生徒達は必死になって弾いた。なかなかの感動的な場面であった。

  しかしこの教室は市の予算削減で閉鎖されそうになった。ロベルタは保護者達と一緒に、オーパス118音楽センターと言うNGO組織を作った。寄付金も集まり、教室も三クラスに増え、生徒の数も年間250人を数えるようになった。卒業生の中で音楽の分野で活躍する人も多くなり、ニューヨークのインターシティ・オーケストラや、ジュリァードのマイノリティ・アドバンスメント・プログラムに加わっているという。生徒は抽選によるが、黒人やヒスパニックと言ったマイノリティが殆どだそうだ。

  わが国には昔からスズキ・メソードというものがある。鈴木真一が17歳でバイオリンを始め、ドイツに渡って腕を磨いた。氏は「才能は生まれつきではなく、作られるもの」という信念のもと、バイオリンによる幼児の早期才能教育を始めた。このスズキ・メソードは世界に広まり、ロベルタ先生もハワイの教室を見学、感銘を受けたと言う。
  近頃わが国ではやたらとDNA論がまかり通っている。曰く「私は音楽はまるで駄目。DNAが欠落している」。鈴木さんは才能は作られるものだといっている。鈴木門下から沢山のバイオリニストが生まれている。どちらが正しいのであろうか。名優花柳章太郎が[役者は不器用の方が良い]という至言を吐いた。
  確かに超一流と言われる人は、教育だけでは作られないであろう。やはりDNAは必要なのであろう。会社で教育を担当していたとき、よく素質か努力かと言う命題にぶち当たったものである。
  しかしDNAがありながら、それに気付かず埋もれてしまう才能は惜しい。教育しても、努力しても、大部分の人はアベレージ・ゴルファーに終ってしまうかも知れない。けれどもそれにより底辺が拡がり、全体のレベルが上がっていく。キラリはますます輝いてくる。その意味ではヤマハ音楽教室も、ピアノの売上を上げるだけではなく、わが国の音楽の水準を上げ、名演奏家を育てる事に貢献してきたのではないか。
  ロベルタは何もキラリを発掘しようとして教室を開いたわけではない。音楽により、このイースト・ハーレムの小学生の情操を高め、暖かい心を通わせたいと思ったのであろう。然し次第に評判になり、音楽を志向する人が集まるようになれば、そのうちキラリも生まれてくるのではないか。

  どうも近頃DNAのせいにして、最初から自分に向かないと言って手をつけない、あるいは手をつけてもすぐ諦めてしまう人が多くなった。何でも好きな事ができる世の中、それは何もできない世の中になりかねない。
  先日テレビを見ていたら、高校を卒業する人の30%が進学も就職も決めていないという話をしていた。何故進路を決めないのですかと聞くと、やりたい事が見つからないという答えが帰ってきた。猶も突っ込んで聞くと、実はやりたい事はあるのだけれど、それには非常に高いハードルを越えなければならないと言う事を先刻承知であるので手が出ないのだ。やりたいことが見つからないなんて格好をつけているだけなのだ。そこで一体これから何をしようとしているのですかと突っ込むと、取り敢えずフリーターとの答えが返ってきた。


        取り敢えず 取り敢えずと  歳かさね  ――― T.H.


                            ( 2000.12 )