閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 壬生義士伝、たそがれ清兵衛
       
  
  珍しく日本映画の時代物を続けて二本観てしまった。「壬生義士伝」と「たそがれ清兵衛」である。どちらも評判が良く、日本映画としてはまずまずの入りであった。と言っても熟年主体で若者の姿は少なかった。
    徹子の部屋に中井貴一が出ていた。話は壬生義士伝の事になった。従来の新撰組の話とはかなり違うようで興味が引かれた。
  この映画を観てから暫く後の事、テレビの対談に原作者浅田次郎が出ていた。浅田次郎はこんな事を言っていた。私はいま日本人に忘れられている義に就いて書きたかった。義とは人として守るべき正しい道の事である。日本では義が忠と結びついて忠義となり、それが最高の徳とされてきた。戦後その反動として、忠義は何か悪い事のように忌避され、ついでに義も敬遠されてしまった。私の言っているのは義で、忠義ではない。人は義の為に生きるのである。
  
  壬生義士伝では新撰組の話にこれまで殆ど登場した事の無い、吉村貫一郎と言う人物が主人公になっている。吉村は南部藩出身の貧乏侍である。打ち続く凶作に南部藩は飢餓に喘いでいる。特に下級武士の台所は火の車。吉村は愛する妻や子供達のひもじさを見て、脱藩を決意する。そして流れ流れて京に到り新撰組に入った。
  吉村は剣が立つ。人も何人か切った事がある。新撰組では忽ち頭角を現し、師範代に抜擢される。給料は上がる。吉村は国元に送金しなければならないので、お金にこだわった。皆に守銭奴と呼ばれても一向に気にしない。 
  時代は動いた。京都御所を守っていた会津藩は、薩摩藩に変わった。新撰組はスポンサーを失ってしまった。目端の利く伊東甲子太郎一派は離脱して薩摩に走った。吉村にも禄は倍出すと誘いが掛かった。然し守銭奴と言われた吉村は断固拒否する。脱藩で一度は裏切った義を二度と裏切れないと言うのである。
  やがて伊東一派は粛清されるが、時の流れには逆らえない。鉄の団結を誇った新撰組も鳥羽・伏見の戦いで、錦の御旗と鉄砲の前にもろくも崩れた。新撰組は散りぢりになって逃亡してしまう。敵中に刀をかざして切り込むのは吉村ただ一人。深手を負った吉村は、辛うじて大阪の南部藩の屋敷に辿り着き、そこで自刃して果てる。
  吉村は強腕の新撰組の面々が散りぢりに逃げてしまったのに、一人最後まで戦った。浅田次郎は、それが義であるといっている。

  「たそがれ清兵衛」は耄碌した母や、病気の妻や幼い子の世話をする為に一生懸命に働き、勤めが終わると同僚との付き合いを一切断って家路に急いだ。その為たそがれ清兵衛という渾名がついた。
  やがて妻は長患いの末他界してしまった。薬代の為の多額の借金だけが残った。極貧の清兵衛は身なりもままならず、藩主から注意を受けるありさま。
  清兵衛の親友の妹朋江は清兵衛の幼友達。結構な家に嫁いで行った。ところが相手は酒乱。たまりかねて朋江は離縁して実家に戻ってきた。酒乱は酒を飲んで実家に怒鳴りこんできた。朋江の兄が妹をかばう。翌日二人は決闘と言う事になった。酒乱は居合抜きの達人。到底兄がかなう相手ではない。清兵衛が助太刀に入る。清兵衛は小太刀の名人。小枝を持って忽ち酒乱を叩きのめす。
  この話が藩内に広まる。やがて藩主が没する。そのどさくさに改革派が立つ。しかしクーデターは失敗に終わる。改革派の一人余吾善右衛門は一刀流の達人、一軒の家に立てこもる。その上意打ちには清兵衛しかなかろうと言う事になり、大命が下った。必死に辞退する清兵衛に家老は言う。「藩命すなはち藩主の命令である」。
  清兵衛は単身一軒家に乗り込む。清兵衛の刀はとうに薬代に変わっていた。中身は竹光。それを知った善右衛門は猛烈に切り込んでくる。然し清兵衛は小太刀の名手。小太刀で相手する。狭い家の中では小太刀が有利。この殺陣は真にすさましい。真剣勝負とはかくなるものかと見入ってしまう。水戸黄門や桜吹雪とは訳が違う。それもそのはず、善右衛門を演じたのは舞踊の大家。
  傷だらけになりながら、相手を仕留めた清兵衛は足を引きずり我が家に帰っていく。そこには朋江と子供達が優しく迎えていた。
  藤沢周平の初めての映画化。山田洋次監督の初めての時代劇。大変見応えのある作品に仕上がっていた。この映画は今年の日本アカデミー賞を総なめにした。もちろん主演の真田広之、宮沢りえもそれぞれ受賞の栄に浴した。
    

    儒教では仁と孝が最高の徳とされている。儒教が日本に輸入された時、それは忠に変わった。中国では義が忠を抑制した。君、君たらずば臣、臣たらずである。所が日本では忠が義の上につき、忠義となり、それが最高の徳とされた。たそがれ清兵衛は「藩命即ち藩主の命令である」と言われ命をかけた上意打ちに赴いた。
  戦後忠義と言う言葉は悪いイメージを持つようになった。それでも企業や官僚組織の中に忠義が残り、それが日本の組織を強力なものにし、高度成長を支えてきた。然し豊かになるとモラルが弛緩してくる。相次いで殿様の不祥事が起こり、部下もこんな殿様に仕えていても仕方が無いと思うようになった。ついに内部告発も日常茶飯になった。
  浅田次郎の言葉を繰り返す。日本人は義に忠をつけて忠義とし、それを義と混同してしまっている。吉村貫一郎が偉いのは、近藤勇の為に死んだからではなく、固い団結を誇った新撰組が、時の利あらずと皆散りぢりに逃げてしまったのに、一人残って戦ったからである。
  世の中忠義が敬遠されると共に義も失われてしまった。世の中の価値観は善悪でなく、損得に変わってしまった。更に最近の若者は好き嫌い、格好の好い悪いになってしまった。
  アメリカの提唱している自由主義経済の基本理念は、儲かる儲からないである。人間損得で動くと言う考え方が基本になっている。     ( 2003.03 )