閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 リヒテルと私
   ―――  河島 みどり


  
  もう30年程前のこと、京都の岡崎にリヒテルを聴きに行った事がある。唯ただ素晴らしかったと言う印象しか残っていないが、巨匠の姿に間近に接する事ができたのは幸いであった。
  朝日新聞を読んでいたら、吉田秀和が河島みどりさんの「リヒテルと私」について書いていた。「この本は音楽の事については殆ど触れられていない。ここにはリヒテルの近くに27年間接していた河島さんの見たリヒテル像が描かれている。・・・」それなら安心、何となく神格化されたリヒテルの姿に接してみたいと早速読んでみた。優れた芸術家の伝記は面白い。それぞれに個性的で、自由人である。
  リヒテルは大のマスコミ嫌い、人嫌い、写真嫌いである。そのためか私生活はあまり知られていない。河島さんは始めは通訳として、その後は世話役としてリヒテルの身辺にあり、氏の日常を知り尽くしている。この伝記は内から見たリヒテル記になっている。

  リヒテルはドイツ系のロシア人である。父はピアノを教えていた。リヒテルは7歳で始めてピアノに触れ、17歳でピアノの伴奏者として活躍し始めた。22歳のときモスクワ音楽院に入り、尊敬するネイガウスの門下生となった。リヒテルは音楽以外には全く興味を示さず、8年かかって漸く卒業する事ができた。それも音楽院の大ホールでのコンサートを以って卒業試験に代えてもらったのだ。リヒテルは神童と言われるのを好まず、自分は18歳まで普通の子供らしい生活を送る事ができて幸せだったといっている。

  リヒテルは大戦中ドイツ系と言う事で迫害を受けた事もあったが、戦後はソビエトを代表する大ピアニストとして、比較的自由にヨーロッパ各地で演奏活動を行う事ができた。その中心となった舞台は、フランスのツールでの氏が主催する音楽祭であった。
  ツールと言えば、ロワール古城めぐりの基地で、日本人観光客にも大変人気が高いところ。私も数年前に訪れた事があったが、静かで美しい街に心が引かれた。
  マエストロは巨大都市の巨大ホールでのコンサートを好まず、地方の小ホールでの演奏をよくした。ツールの演奏会場は僧院の倉庫を改造したもので、素晴らしい環境に恵まれ、氏もいたく気に入っていた。6月の末から2週間、世界的なアーチストがここに集う。勿論ヨーロッパ各国のナンバーの車も続々詰め掛ける。
  人嫌いのマエストロは各地で催される歓迎会は極力敬遠する。それでも人々はこの大家に身近に接しようと集まってくる。氏は突然不機嫌になってしまい、周囲を心配させる。
  マエストロはヨーロッパ各地を演奏旅行して廻ったが、特にイタリアが気に入ったようで、演奏会の合間に名所旧跡を歩いて廻った。面白い事に、一日一箇所しか行かない主義であった。印象が薄れると言うのだ。
  イタリアには教会を始め雰囲気のよい小ホールは幾らでもある。ピアノの練習場や宿舎は大きな館が提供される。豊富な歴史遺産、美しい風景、マエストロはすっかり気に入っていた。しかし困った事にはイタリア人はノー天気、万事がルーズ。準備万端予定通り事が運ばない。マエストロは神経質、聴衆の事を思ってイライラする。周囲もヒヤヒヤする。
  マエストロは又自己の採点に厳しく、演奏会が終わると、今日の演奏の出来が悪かったとしばしば滅入っていた。

  リヒテルが初来日したのは1970年の事、それから都合8回日本を訪れている。マエストロが最も愛した国はイタリアと日本であろうと筆者は言っている。マエストロは大の飛行機嫌い。はるばるシベリアを経由してやってくる。この遠い日本の何が氏をそんなに惹き付けたのだろう。
  マエストロによると、日本は古来の伝統と21世紀的文明が見事に調和している。そして日本人の誠実さ、正直さ、清潔さは卓越したものである。・・・真に耳の痛い話ではないか。氏が来日した頃には、少なくとも表向きには、或いは余所行きには、このような日本の善さがまだ残っていたのだろう。
  マエストロは京都の俵屋と鎌倉の海浜荘を定宿にしていた。そこには日本古来の美しい建物と、心のこもったもてなしが有った。
  マエストロは日本各地を演奏旅行して廻った。日本のエージェントとヤマハの人たちの水も漏らさぬ準備と段取りにはいたく満足していた。その御礼もあって、ヤマハの工場まで出向き、ピアノの職人達の前で演奏をした。
  74年に来日した時に、マエストロが「これ以上ピアノが怖くて弾けない」と言い出した。氏は突然曲を忘れるのではないかという恐怖に取り付かれたのだ。フランスから主治医が飛んできて「譜面を見て弾けばいい」と言われ、譜めくりをおいての演奏になった。勿論譜面を見ている訳ではないが。
  中村紘子のエッセイに、暗譜がいかに演奏家にとって精神的に負担になっているかと書いてあったが、どうしてあの膨大で複雑な譜面が覚えられるか不思議に思う。 

  この本を読んで心が痛むのは、リヒテルが絶賛した日本の古来の伝統的文化と日本人の人となりの善さがここ2,30年の内に失われてしまった事である。
  リヒテルは5時間に及ぶ本格的茶席も体験し、能や歌舞伎も好んで観てその素晴らしさを絶賛していた。それらは今の日本では一部の人の愛好するものとなってしまっている。海外に出かけた若者が、外人から日本の伝統的文化についてよく質問され困っているという話を聞く。
  リヒテルが言うように、日本人は誠実で清潔で正直であった。そして律儀で几帳面でもあった。ある時リヒテルが大切なものを置き忘れて、真っ青になって取りに帰ったら元の場所にちゃんと置いてあった。リヒテルは日本人を絶賛した。かっての日本なら至極当たり前のことなのだけれど。
  酔っ払いながら高速道路にバスを走らせる運転手、携帯でメールを送りながら新幹線を操縦する運転手。かっては世界一を誇った日本の製造業を支えてきたものは、律儀で几帳面なオペレーターであった。それが最近信じられないようなポカミスを起こし大事故につながっている。これではリヒテルに申し訳が無い。一体最近の日本人はどうなっているのかと叱られそうだ。
  巨匠リヒテルが弾くシューベルトのソナタを聴きながら、憂え、嘆く事しきりである。

                          ( 2003・12 )