閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 カンダハール
 
  ニューヨークの貿易センタービルの破壊と言う衝撃的事件により、アフガニスタンは一躍世界中の注目を浴びるようになった。かってソ連がアフガニスタンを侵攻し、アメリカを始めとして西側諸国がモスクワ・オリンピックをボイコットすると言う事件があった。その時はそれなりに世界の人々の関心を集めたが、それも例によって、ソ連が領土的野心から周辺諸国を侵攻しているという程度の認識しかなかった。ソ連が撤退したら、たちまち世界の人々の関心から離れてしまった。                             

  イランの映画監督モフセン・マフマルバフが「カンダハール」という映画を作った。この映画は2001年のカンヌ国際映画祭で国際基督教会審査員賞を受賞、又ユネスコよりフェデリコ・フェリーニ メダルを授与されている。そしてその後ほどなく、マフマルバフ監督のスピーチを纏めた「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではなく、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」という本が出版された。映画も強烈だったが、この本を読むとアフガニスタンの救いようのない現状が良く分かる。

  カナダに亡命中のアフガニスタンの女性ジャーナリスト、ナファスが、アフガニスタンにいる妹から手紙を受け取る。妹がアフガニスタンのあまりにも酷い現状に悲観して、近く起こる皆既日食の日に自殺すると書かれてあった。
  ナファスは妹に生きる希望を与える為、一度は捨てた故国に帰ることにした。女性ジャーナリストと言う事でビザがなかなか下りなかったが、漸くイランから入国した。あと日食まで3日間。 
  ナファスはイラン国境付近の難民キャンプからアフガニスタンに帰る家族に多額のドルを支払って、第四夫人として紛れ込んだ。オート三輪は砂漠をひた走る。然し途中で盗賊に襲われ、オート三輪と荷物は盗られてしまう。一家は再びイランに引き返す。ナファスは子供をガイドに雇い、砂漠を歩いてカンダハールに向かう。
  ある町に診療所があった。そこにはアメリカの黒人の医者がいた。医者はガイドを返し馬車で途中まで送ってくれる。砂漠の真ん中にテントの一群が見えてくる。赤十字のキャンプである。地雷でやられた人が大勢義足・義手を求めて集まってくる。
  突然丘の稜線にカラフルなブルカにすっぽりと顔と体を包んだ一団が現れる。ナファスはそれに紛れてカンダハールを目指す。然し検問に引っかかり女達はブルカの中まで調べられ、書物や楽器は没収されてしまう。
  映画は此処で終わっている。果たしてナファスは日食に間に合って妹の所に辿り着けたか。・・・・この映画はナファスが砂漠の中、苦難の道を辿る所を映しているだけなので、特にドラマはない。然しショッキングな挿話がいくつか入っている。
  イランにある難民キャンプ、女の子は最後の授業を受けている。明日からはアフガニスタン、学校には行けない。ただ家の中でじっとしていなくてはならない。お人形が落ちていても拾ってはいけないと教えられる。それには地雷が仕掛けられているかもしれない。
  アフガニスタンの神学校。此処に入ればひとまず食える。経典を前に先生の号令いっかものすごい勢いでお経を読む。そしていっせいに頭を前に擦り付け何回か礼拝する。学校を卒業すると武器を渡されタリバンへ。
  村の診療所、男は直接女と話をしてはいけない。患者はカーテン越しに、子供を通訳として問診を受ける。カーテンに穴があいている。その穴越しに患部を医者に見せる。
  赤十字センターには義足を貰う人が押し寄せてくる。そこへ爆音。飛行機から落下傘で義足が投げられる。義足をはめた人が松葉杖を突きながら先を争って拾いに行く。その義足をまた道で売る。
  そして最後は花嫁を送るブルカの集団。頭陀袋のようなものを頭からすっぽり被っている。女は顔を見せてはいけない。目の前は格子、虚無僧のよう。それでも女性は飾りたい。ブルカは真にカラフルだ。爪にはマニュキア、何か異様に見える。
  まあ文明開化の世の中にこんな世界があろうとは。原理とは一体なんであろうか。マホメットはそんな事を教えたのだろうか。

  モフセン・マフマルバフはその著書の中でこう述べている。クェートのような石油があれば、アメリカがやってきて3日間で侵略者を追い出してくれる。然しアフガニスタンには世界の人々の関心を引くものは何もない。アフガニスタンの100万人の人が飢え死にしそうになっているのに、一向に懸念を示す人がいない。然しバーミヤンの仏像が破壊されると、世界の文化人や芸術家がいっせいに仏像を守れと叫ぶ。ソ連がアフガニスタンに存在していた頃は、コミユニストの抵抗戦士として西側のメディアの注目をあびていた。
ソ連撤退後は人権擁護のアメリカも一向に興味を示さない。
  アフガニスタンは山岳国家である。その谷間に沿って、色々な部族が生活し、お互いに争っている。僅かな耕地、牧畜を主として生活してきた。あまり知られていないがアフガニスタンは世界の麻薬の50%を産している。然しここでは原料として引き取られ、5億ドル程度にしかならない。これが末端では800億ドル、160倍になるという。
  アフガニスタンの人口は約2,500万人、そのうち650万人はパキスタンやイランに難民として流出している。国内には餓死寸前の人が100万人いるという。アフガニスタンの平均寿命は40歳、5歳未満の死亡率25%と世界で最も劣悪なグループに属している。そのうえ女性の就学を禁止している世界で唯一の国である。
  
  ニューヨークのテロ事件は世界の人々の目を再びアフガニスタンにひきつけた。東京に世界の人々が集まって、如何にしてアフガニスタンを救うのかという論議がなされ、世界各国から援助の手が差し伸べられることになった。然し問題解決はこれからである。タリバンは悪、北部同盟は善と簡単に片付けられない所にこの問題の根深さがある。元々タリバンを育てたのはパキスタンやアメリカである。アフガニスタンの谷間に住む部族は敵対し合っている。最近の旱魃は農業や牧畜をますます困難にさせている。まさか麻薬を奨励するわけにもいくまい。
  救いの見えない中で、カラフルなブルカをまとった女性の集団が、砂漠の中を楽器を鳴らしながら進んでくる奇妙な姿が目に焼きついて離れない。
  テレビを観ていたら、東松さんという人が40年前にアフガニスタンで撮った写真を紹介していた。その美しい風景はどうしても今日の荒廃した風景とは結びつかない。

                       ( 2002・02 )