閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
いかるが散策

  柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺     ――― 子規

  法隆寺の放生池の傍らに子規の句碑がある。真っ赤な柿が枝もたわわに実り、遠くに塔が霞んで見える。東山魁夷や平山郁夫の絵,あるいは入江泰吉の写真によっていかるがのイメージは出来上がっている。真黄色の菜の花の向こうに塔が浮かぶのもいかるがの定番であった。そんな風景をイメージしてよく写真を撮りに行くのだが、近頃菜の花も柿もとんとお目にかかれなくなってしまった。
  会社に入って間もない頃、慰安会で奈良公園に行ったことがある。法隆寺との出会いはそのときが初めてであったが、あまり記憶にない。参道に大きな松並木があったことと、辺り一面田んぼが広がっていたことが印象に残っているぐらいである。
  
  大和郡山の方からいかるがにやってくると、先ず法起寺の三重の塔が目に入る。軒先が長く大変すわりの良く優美な佇まいをしている。数年前からこの寺を囲むようにして休耕田にコスモスが植えられた。カメラマンが押し寄せ塔をバックに盛んにシャッターを切っていた。残念ながら2,3年で再びもとの田圃に戻ってしまった。
  30年以上前のこと、まだモノクロの時代、此処で撮った写真が何故か四つ切に伸ばされ手元にある。当時写真を伸ばすなんてした事がなかったのに。更に驚いた事には、余白に万葉の歌が書かれている。その頃私は万葉には全く興味もなかったのだが。
    斑鳩の 因可の池の 宜しくも
       君を言わねば  おもいそわがする
             ―――作者不詳 (巻12−3021)
  (斑鳩の因可の池のように宜しくも、世間は君を噂しないので、何かと思いすることよ)
  この辺りには溜池がたくさんある。因可の池が何処にあったのかは分からない。

  法起寺を過ぎ右折して少し行くと法輪寺の三重の塔が見えてくる。この寺の前に大きな無料駐車場がある。何時も此処に車を止め法隆寺まで歩く。
  法輪寺の三重塔は戦争末期の昭和19年、落雷により焼失してしまった。作家幸田あやがこの塔の再建に尽力した。父露半の名作「五重塔」にあやかっての事だろう。昭和50年、その優美な姿がいかるがの里に戻ってきた。私も貧者の一灯を献じた。
  この三重の塔は京都の家のように紅柄色をして、軒先も長く,大変優美な姿をしている。この辺りに僅かに柿畑が残っていて、塔をバックに写す事ができる。法輪寺の裏に小さな村があり、その中心に聖徳太子が掘ったと言われる三井の井戸がある。
  法輪寺の横の自転車専用道路を暫く歩くと、中宮寺の門前に出る。以前このお寺は小さな庵であったが、昭和43年に、鉄筋コンクリート作りの収蔵庫のようなものに建て替えられてしまった。この大事な大事な弥勒菩薩の半伽像を守る為にはやむを得まい。微笑をたたえた前傾姿勢の弥勒菩薩は真に優しい慈悲にあふれたお顔をしている。この寺は、門跡寺院として、1300年の間この弥勒菩薩を守りつづけて来た。
  先日久しぶりに太秦の広隆寺に弥勒菩薩を訪ねた。微笑は慈母の優しさをたたえていた。何れが好きかとよく問われるが、これには返答に窮してしまう。

  中宮寺から築地塀に沿って少し行くと法隆寺の東院に出る。その中心に夢殿がある。本尊の秘仏救世観音は長らく厨子内に安置され、陽の目を見ることはなかった。明治17年、岡倉点心とフェノロサによって始めて開扉され、今では春と秋に一般公開されている。
  東院から西院に至る境内の玉砂利は埃っぽい。シーズンには露店が並び賑やかである。これまで私が辿ってきた道は逆順路で、やはりお寺は南から参道を通って入って来なくてはいけない。背の高い松並木を歩き、山門をくぐり、左右の築地塀の間の玉砂利を少し歩くと、中門越しに、右に金堂左に五重塔が見えてくる。
  法隆寺は1993年12月ユネスコの世界文化遺産に登録された。わが国の第1号である。国宝・重文の数は190件、2300点に及ぶ。法隆寺の起源、建物や仏像の由来は昔から多くの研究がなされている。私から触れるべきものを持たない。
  大変残念な事に、法隆寺の金堂は昭和24年1月に失火により焼失してしまった。もう其れから半世紀、新しかった金堂もすっかり周囲の風景に溶け込んでしまっている。
  昨年の秋、大宝蔵院堂が新築された。その中央に百済観音堂が設けられている。従来の収蔵庫は天井が低く、手狭で空調や照明が不備で、人を案内するのも気が引けた。百済観音も狭い部屋に押し込められ窮屈そうであった。新築なった大宝蔵院は大変立派で、法隆寺の宝物を収蔵するに相応しい。わけても百済観音堂はゆったりとしたスペースをとり、漸くこの観音様も安住の地を得たような気がする。アルカイック・スマイルを浮かべて。
 
  法隆寺の近くに竜田川が流れている。紅葉の名所として昔から名高い。百人一首にも載せられている。
      ちはやぶる  神代もきかず竜田川
         からくれないに  水くぐるとは
                ―― 在原業平朝臣
  落語の「竜田川」を思い出しながら川沿いをそぞろ歩く。残念な事にはからくれないは見られない。国道25号線の排気ガスですっかり楓も痛んでしまった。
  竜田川を少し下ったところに三室山がある。此処も百人一首に読まれている。私のお得意の札であった。
       嵐吹く  三室の山のもみじ葉は
           龍田の川の  錦なりけり
                   ――  能因法師
  三室の山は今では紅葉より桜が多い。花の頃は全山ピンクで埋まる。この辺りにはまだ田畑がかなり残っているが、残念ながら、菜の花越しに五重塔というアングルには当たらない。
  昔いかるがの東、大和小泉の慈光院によく行った。若草山から三輪山に至る青垣山を借景にして、見事なつつじの大刈込みがある。眼下に広がる田畑は青々として「大和し美わし」そのものであった。今見ると、ビニール・ハウスが無秩序に並び、マンションや工場が点在し、美わしい大和も見る影も無くなってしまった。柿の実や菜の花ごしに見える塔の風景を惜しむのは贅沢なのかもしれない。いかるがも単なる地名になってしまった。

                    (2000.09)