閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
   あの子を探して 


  主人公の少女の表情が、何とも言えず魅力がある。少しあどけなく、ポーカーフェイスで。まだ十三歳の幼い子なのに、一人で考え、一人で行動し、様々な困難を乗り越え目的を達成した。そこには微塵の気負いもなく、誇るでもなく、はしゃぐでもない。

  中国河北省の片田舎のおんぼろ小学校。一年生から四年生まで二十八人の生徒がいる。遠いところから通っている子は、夜は机をベッド代わりにして泊まっている。
  先生が母親の病気の為一ヶ月休暇を取る事になった。代わりに連れてこられたのは中学も出ていない十三歳の女の子。この小学校では既に十数人も辞めている。これ以上減ると学校の存廃に関る。先生は女の子に、自分が戻るまで一人も辞めなければ、五十元の報酬のほかに、十元の特別報酬を出すと約束する。
  女の子は勿論授業をする学力や技術は持っていない。唯黒板に字を書いて皆に書き取らせるだけ。後は教室の出口で生徒が逃げないように見張っている。何処にも腕白小僧はいるものだ。この先生を馬鹿にして騒ぎ、挙句の果てチョークを落として粉々にしてしまう。少女は怒り、小僧に謝らせ、弁償させる。
  とんでもない事が起こった。小僧がいなくなった。家計を助ける為に町に出稼ぎに行ったという。先生は探しに行きたいがバス代がない。仕方なく生徒を連れてレンガ工場にアルバイトに行く。見込み違いがありバス代が足りず、少女は山の中でバスを降ろされる。何とかヒッチハイクで町に辿りつく事はできたのだけれど。

  少女は町に来たのは生まれて始めて。車と人の洪水にまず驚く。一体何処をどうやって探したらよいのか。それでも考えた。なけなしのお金をはたいて、半紙と墨汁を買う。尋ね人のポスターを沢山作る。何処に貼ろうか。そこに一人の男が通りかかる。そんなものは効果がない。テレビの尋ね人に出なくては。
  少女はテレビ局に行くが門前払い。局長に直訴しようと門の前に座り込む。翌日窓越しに少女を見た局長が、少女を呼び、訳を聴き、田舎の教育問題というニュースショウに出演させる事になった。少女は涙をため、小僧に必死になって訴えかける。「帰って来てちょうだい。ホエクー!」

  軽トラックが荷物を満載にして山道を走る。テレビ局がこの田舎の学校を取材する事になった。番組を見た人から沢山の文房具と寄付金が集まった。村長はこれで学校を建て替えられると大喜び。
  生徒たちは寄贈されたチョークを手に取り、一文字づつ黒板に文字を書く。腕白小僧だけが三文字書いた。「ウェイ先生」
  中国は目覚しい発展を遂げている。上海を見るとニューヨークを凌ぐほど摩天楼が林立している。広大な敷地に広がる工業団地は日本のそれを思い出させる。然し農村や僻地は貧しい。何でも毎年百万人の児童が貧困の為退学しているという。尤もそのうち15%位が様々な人たちの援助で復学を果たしているそうではあるが。
  この映画はそういった極貧の田舎の小学校の様子をよく表している。江戸時代の寺小屋より大分環境は悪い。都会からそんなに離れていないこの田舎で、こんなにも格差があるのかと驚かされる。

  この映画はヴェネチァ映画祭でグランプリを取ったが、中国でも大ヒット作となった。うちの子にも是非見せたいと親子連れが沢山来たそうである。豊かになった中国、一人っ子政策の中国。子供は次第に我侭になり、贅沢が身についてきた。この映画に出てくる子供達の、純朴で、貧しさを乗り越え、明るく力強く生きていく様子を自分達の子供に是非見せたいと思ったのであろう。
  文化大革命で都会のプチ・ブルは農村に下放され、過酷な労働を強いられた。それはそれで意味は有ったのであろうが、国家としての知的な進歩は止まってしまった。殊に科学技術及びそれの基礎となるような学問が失われてしまった。それは中国の発展に大いなる停滞を齎したばかりでなく、その後遺症は長く尾を引いた。
  1978年、中国は正式に「改革開放」路線を表明し、積極的に外国の資本と技術を取り入れた。そして豊富で超低廉で優れた労働力を武器に、年10%以上の成長を続けてきた。忽ち摩天楼が林立した。これが共産主義の国かと思われるほど、市場主義経済は浸透してきている。その結果お金がすべての世の中になってきた。

  来日したチャン・イーモー監督はインタビューに答えてこう言っている。「中国は大きく変わり、市場主義経済の時代になった。そこで、多くの人が次第に、無意識のうちに何かを失ったのではないかと感じるようになった。つまり、お金が重要であるという考え方が強くなった。然し愛はなくていいのか。愛はお金より大事ではないか。素朴な疑問で単純な愛を伝えたかったのである」。
  腕白小僧がいたずらをしてチョーク箱を落とし、それを踏みつけてしまったときの少女の悲しそうな顔。文房具を寄付されて、生徒一人一人がチョーク一本づつ持って、黒板に一字づつ書くときの嬉しそうな顔。一本のチョークにも愛があるんだと言う事をこの映画は教えてくれる。
  日本の子供にこの映画を見せたらきっと言うだろう。何でインターネットで探さないの。中国の都会の人がこの映画を見て、自らの生活態度を改める事もなさそうだ。今は情報社会、逆に田舎の人が都会の豊かな暮らしを見て、次第に不満を持つようになるだろう。仮に田舎も都会並に豊かになったらこれまた大変な事になる。食料問題、エネルギー問題、環境問題、忽ち地球規模で行き詰まってしまう。
  豊かな生活、豊かな社会を求めるのは人類共通の願である。然し、チャン・イーモー監督が言うように、その過程で人々は何か大切なものを失ってしまわないのか。
  以前日経の記者、井尻千男さんが書いた「玩物喪志」という本を読んだ事がある。溢れる物に溺れ、志を忘れてしまう。中国の古典「書経」に出てくる言葉である。政治に関る士大夫(官吏・知識人)階層に対する戒めである。

                     ( 2003・08 )