閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
ザ・ブランド
                ―ナンシー・ケーン
 
   入社して間もない頃、社長に上がった書類に時々赤鉛筆でコメントが付いて返ってきた。ある時「ブランドを大切にせよ」と書かれていた。ブランドとは何か。周りに聞いても明確な答えは得られなかった。今では猫も杓子もブランド物を身につけて歩いている。ブランドは商品と消費者を結びつける鍵、企業はそのイメージを上げ、保っていくのに鎬を削っている。
  ザ・ブランドという本がなかなか面白かった。ウエッジ・ウッド、ハインツ、マーシャル・フィールズ(百貨店)、エスティ・ローダー、スターバックス、デル・コンピューター6社のブランド戦略が書かれている。
  何れも高級なブランド・イメージを消費者に植え付けるマーケティング戦略を展開し成功した物語である。時代は18世紀から20世紀に及んでいるが、その時々の世の中の変化を的確に捉え、一つの筋が通った戦略を貫き通し成功している。
  著者ナンシー・ケーンはハーバード・ビジネス・スクールの経済学部助教授であり、また歴史学者でもある。
                                                      
  17世紀の半ば、イギリスの片田舎で生まれたウエッジ・ウッドは、わが国で言えば宮内庁ご用達戦略で成功した。ヨーロッパの王室や貴族のご愛用の品であると言う超高級イメージを消費者に徹底して植え付けていった。折からの産業革命、イギリスを中心としてブルジョワ階級が生まれた。高級品の需要は急速に高まった。ウエッジ・ウッドはこの波に乗り、一大高級ブランドに成長、ヨーロッパのみならず、アメリカや日本にもその地位を築いていった。

  ハインツはわが国でも著名な食品のブランドであるが、その歴史は19世紀に遡る。当時加工食品は家庭の手作りであった。産業革命の波はアメリカにも押し寄せてきた。通信・交通手段の発達、所得水準の向上により加工食品事業の環境は整ってきた。
  数多くの加工食品業者が生まれたが、品質が悪く、しばしば衛生問題を起していた。ハインツは徹底して品質にこだわり、消費者に大量のサンプルを配り、その品質の良さを植え付けることに力を注いだ。そして今日我々が見る商標をデザインし、あらゆる媒体を通じて広告を行った。ハインツのブランドは信頼の証となった。
  
  マーシャル・フィールドは19世紀半ばに創業された百貨店である。20世紀初頭、躍進著しいシカゴの中心街に、12階建てのどでかい店をオープンさせ、シカゴ子のど肝を抜いた。マーシャル・フィールドはシカゴのハイソサイヤティの集う場所となった。
  当時メーカーのブランドは弱かった。マーシャル・フィールドは対象を上流階級に置き品揃えとサービスを次々と提供していった。マーシャルは高級品と信頼の証となった。わが国でいえば昔の三越のイメージに近い。
  消費者は一つ上の階級に属していると見られたがるものだ。やがて上流階級の集まる所には中流階級が背伸びをしながら寄って来るようになった。
  今日マーシャル・フィールドは全米に展開しているが、高級品を売る百貨店としてのイメージは損なわれていない。
  
  エスティ・ローダーは戦後すぐの創業になる。化粧品は夢を売る商売である。エスティ・ローダーは消費者に高級イメージを植え付けることに力を注いだ。当時化粧品はドラッグ・ストアーで大量に売られていた。然しエスティは美容院や百貨店に美容部員を派遣して、消費者それぞれに合った化粧方法を教えながら推奨販売をしていった。資生堂やカネボウの制度品の販売方式である。
  エスティは常に消費者のニーズを的確に把握し、セグメント別にマーケッティング戦略を立て、逐次事業の幅を拡大していった。然し基本は高級ブランドの確立であった。

  スターバックス、ついこの間まで聞いた事のない名前であった。今では我が家の最寄の駅ビルまで進出している。
  喫茶店のような昔から何処にもある店、コーヒーのような大変古い飲み物、如何してそんなチエーンが瞬く間のうちに世界中に拡がったのか。
  わが国では喫茶店はサラリーマンの溜まり、女性のおしゃべりの巣になっているが、世の中には本当に美味しいコーヒーを安直に飲みたいと言う人もいる。スターバックスは見事にそのニーズに応えた。
  シアトルのコーヒー豆を売る店を創業者シュルツが買ったのが87年、其れから僅か9年後、スターバックスは全米に1000店を超えた。そして瞬く間に日本を始め世界中に広まっていった。
  スターバックスはコーヒーにフレーバーを加えるとか、いろいろ食品を品揃えするとか、豪華なソファーを並べると言うような様々な周辺の誘惑を排して、本物のコーヒーを安く飲ませると言う一点に経営努力を集中させた。

  デル・コンピューターはカスタムメイドの高級品を武器に、競争の激しい業界の中で独自の地位を築いた。マイケル・デルは19歳で学校を辞めIBMに対抗するという壮大な理念の下、パソコンの開発を始めた。そして20世紀の終わりには純資産210億ドルあまりに達し、40歳以下のアメリカ人の中で最高の資産家になった。
  デルはこれまでのパソコンがお仕着せのもので、量販店で大量に流されており、必ずしも個々のユーザーのニーズに適合していないと考えた。そして大口ユーザーではかなりの量が纏まり、且つ独自のニーズを有し、迅速な対応を望んでいる事を知った。  
  デルは有能な開発マン、サービスマンを大量に育成し、これを全米に配し、カスタム・メイド、クイック・レスポンスの体制を作り上げた。そして21世紀の初頭には遂にパソコン部門の売上げはアップルとIBMを抜くに至った。

  以上6社は何れも独自のマーケッティング戦略を展開、ブランドを大切に育て成功を収めてきた。一つのブランドを長期にわたって維持する事は難しい。世の中は変化する。消費者の気持ちは移ろい易い。この本は筋の通ったブランド戦略の大切さを教えてくれる。
  アメリカで1925年―85年の60年間における21の商品分野別のトップブランドを調査したものがあった。実に18分野で同一ブランドが首位になっている。ナビスコ、ケロッグ、コダック・・・・。
  わが国で最近著名ブランドの交代がある。キリンビールは48年間首位を守ってきたが、その座をアサヒビールに譲り渡してしまった。かっては自動車産業の花形車種であったコロナ、ブルーバードが車名をプレミオ、シルフィに変えた。業界であれほど高いイメージを誇った雪印が相次ぐ不祥事で危うくなってきた・・・・。

  佐々木健一と言う人の「タイトルの魅力」の冒頭にこんな事が書いてあった。美術館に行くと顧客の態度が二つに分かれる。一つは絵をじっと見つめて鑑賞している人。今ひとつは絵のタイトルや説明書を熱心に読んで納得してから眼を絵の方に転じる人。
  わが国はブランド信仰が強い。美術館で人だかりしているのは著名な絵である。旅行にいっても記念碑の前には人だかりがして、Vサインしながら写真に収まっている。塩野七生の随筆を読んでいたらこんな事が書いてあった。イタリアでは店員が「これは貴女にとても良く似合います」と言う。日本では「これは評判が良くて皆さんがお買いになります」と言う。
  日本人は他人の目を気にする。ブランド品を着けているのは格好の良い事、ステイタスが高い事と信じている。下手に自分の好みを主張するとへそ曲がりに見られる。それだけに一度ブランド・イメージが崩れると急速に衰退してしまう。「ザ・ブランド」この本を是非雪印の人に読んで貰いたい。雪印はわれわれ子供の頃から最も信頼されていたブランドであったのに。
                            (2002.02)