閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
      バルトの楽団      
 

         

  日本人は「第九」が好きだ。十二月になると全国で数百回の「第九」が演奏される。それだけ人気の高い「第九」の本邦初演は、今から八十年も前にさかのぼる。第一次世界大戦のとき、ドイツ兵の俘虜を収容した徳島の板東俘虜収容所で、俘虜の楽団によって演奏されたのがはじめてである。

  この映画はその史実を基に、ドイツ人の俘虜と収容所の管理人、板東の住民との信頼にもとづいた交流を描いたものであり、まことにヒューマニズムに溢れた作品である。

  余談だが、板東英二はこの地の出身で、大陸から引き揚げてきたときに、一時この収容所に住んでいたそうである。その縁によってか、この映画の冒頭部分で、久留米の収容所長として登場する。

  題名のバルトは、ここの収容所の所長が、昔の軍人によく見られる、先端が巻き上がった髭を大切にしているところから付けられたもの。楽園は「らくえん」と読まず,「がくえん」と読ませる。音楽との関連からである。

  第一次世界大戦のとき、わが国は日英同盟の関係上大戦に参加、ドイツの極東の拠点青島を攻めた。この戦いに勝利した日本は、ドイツ兵四千七百人の捕虜を得た。この捕虜を全国十二箇所の俘虜収容所に収容したが、設備が整っていなかった為、これを六箇所に集約、補強して収容した。その一つがこの板東俘虜収容所という訳である。

  松平健演ずるここの所長はヒューマニティ溢れる人物で、捕虜を信頼、人権を尊重し、出来る限りの自由を与えようとしていた。それは所長が明治維新の時、敗れた会津藩士の息子で、敗者の痛み、誇りというものをよく知っているからである。

  他の施設から移送されてきた捕虜達は、又新しい地獄が始まるとびくびくしながら門をくぐった。突如楽団の歓迎の曲が流れる。捕虜達はびっくり、久し振りの再会に抱き合って喜び合う。

  ここの収容所は酒保もあり、ソーセージを肴にジョキーを傾けることも出来る。楽団の演奏も自由だし、新聞の発行も許されている。当時のドイツは世界で最も進んだ文明国、地元民は積極的にドイツ軍と交流、その技術を取り入れた。それは建築・農業・畜産・食品・音楽・スポーツ・印刷と多岐にわたっていた。

  そしてついに世界でも類を観ない「俘虜製作品博覧会」が開催された。地元民が多数やってきて、その作品の素晴らしさに目を見張り、楽団の演奏に耳を傾ける。やがて会も佳境、十八番の阿波踊りが始まる。ドイツ兵も飛び入り、慣れないステップを踏む。

  その昔、軍国主義華やかなりし頃、こんな所長はなかなか居ないように思える。しかしこの話は実話にもとづいている。中にはこの所長のやり方が気に入らない血気盛んな青年将校もいる。所長の運営について本部に密告した。所長は呼び出され、きつい叱責を受け、予算を減らされてしまう。所長は一計を案じ、捕虜を動員、森林を伐採、それを売って予算の穴埋めをした。

  三年に及ぶ戦いも、ドイツの敗戦によって終結を迎えた。ドイツ軍の総督は責任を感じ自殺を図るが未遂に終わる。所長の励ましでやがて元気を取り戻す。

  いよいよ別れの時がやってきた。ドイツ人たちは所長はじめ施設の人、それに地元民にこれまでの交流・支援に感謝の意をこめて「第九」を贈ろうと計画する。しかし女性コーラスがいない――編曲して男性コーラスで間に合わせる。ファゴットがない――オルガンで間にあわす。いろいろ工夫して何とか実現までこぎつけた。この編曲を池部晋一郎が担当した。先日N響アワーで氏がこの地を訪ねて語っていたが、この編曲には大変苦労されたそうである。

  かくして施設に地元民を集めて「第九」の演奏会が開かれることになった。日頃クラシック音楽になじみの無い徳島の田舎の人が続々集まり、その演奏に熱心に耳を傾けた。「歓喜の歌」は人々に勇気と感動を与える。

     おお友よ、この調べではない!

     もっと快い、喜びに満ちた調べに

     ともにこえをあわせよう・・・・・

  映画のクライマックスで流れる「第九」はカラヤン指揮するベルリン・フィルハーモニーの音源を使用している。テンポの速い、切れのよい演奏が響いてくる。時折カラヤンの大写し。カラヤンは五十四年に来日、N響を指揮して「第九」を演奏、日本での「第九」ブームに火をつけた。今では一万人の合唱まで現れた。

  しかし今から八十年前、異国の収容所で「第九」を演奏するとは、さすがクラシック音楽の本場ドイツだなあと感心させられる。今回映画化された話は有名であるが、ヒューマニズムに溢れた地元民とドイツ人との交流の結果生まれたところに意義がある。さぞベートーベンも喜んでいることであろう。地元鳴門市では六月一日を「第九」の日として、六月の第一日曜日に「第九」の演奏会を開いているそうである。

  最近アメリカのグァンタナモ捕虜収容所で自殺者が出たとか、拷問の跡が見つかる事件が起こり、国際的に問題になっている。

  私の大好きなフランスの名画「大いなる幻影」は収容所を扱ったものであるが、そこには騎士道の精神が流れていた。勝者が敗者をいたわり、尊重する気持ちが表されていた。ことに将校に対する取り扱いは丁重である。将校もそれに応えるように、折角部下が苦心して掘った脱出口からの逃亡を拒否、部下を逃がすための囮になって死んでしまう。

  第十七捕虜収容所ではいかにもアメリカの映画らしく、とらわれの身になっても、明るく生きていく様が映され救いがあった。 

  昔の戦いはプロとプロの戦いであった。最近では民間人をまきこんだテロとの戦いや、狂信的宗教間のいざこざで、残虐な争いになり、捕虜は人質、とても人道的などいってはいられない世の中になってしまった。  

                     ( 2006・07 )