ワールドカップの余韻
日本中を大いに沸かせたワールドカップが閉幕した。2カ国共催という前代未聞の運営方式に、前々からいったいどうなるのだろう、うまく行くのだろうかと大いに関心があった。試合会場が国境をまたぐ双方に点在していて、選手団を始め相当な人数が毎日大移動し、そこに混乱が起きないだろうか。韓国と日本は似たもの同士とはいえ、過去の歴史を振り返ると立場の違いは歴然とあり、協力し合ってこの大きな事業を成し遂げる事ができるのだろうか。そういった心配は、報道を聞く限り杞憂に過ぎなかった。特にそのホスピタリティにワンダフル!と韓国と日本を見直す声も多く、外国客にはおおむね好評だった。
だが最近読んだ二つのウェブ上の記事が私にまた別の見方を示してくれた。

@ 2002年W杯サッカーの深層
http://plaza12.mbn.or.jp/~SatoshiSasaki/y2002/wcup.html 
A ワールドカップの報道統制
248 Media Watch: ワールドカップの報道統制
http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=0367&FN=20020706083717

@では、韓国の試合での審判に対する判定疑惑をはじめ、ワールドカップは決してサッカーの実力ナンバーワンを決めるという単純なイベントではなさそうだという、言ってみれば裏側の真相に迫ろうとし、その際に「実力や国力では日本よりはるかに劣る韓国」、という見方をダイレクトに示している。一方、Aでは、同じ現象を今度はマスコミの取り上げ方に絞って、判定疑惑に対して沈黙し日韓友好をひたすら強調するマスコミの姿勢に疑問を呈する。

韓国が絡んだ試合に判定疑惑が集中している点は、私も大いに疑問だったので、@を読んで、審判の買収があったのかもしれない、そうであるなら真相を究明して欲しいと思う。だが、それを持って韓国に対して、「日本にだけは負けたくない国」、「国力あるいはチーム力が伴わないのに結果だけを求める国」、「その程度の国」とは思わない。筆者の意図はそこにはないと想像するが、読んでいると自国と他国を比較して優劣をつけているようで、個人レベルでよく見られる比較、つまり、他人と比べて自分の優位を保つことで安心しようとする態度に共通するものがあるのではないか。それは取りも直さず、他国の選手に対して敬意の見られない応援をした韓国サポーターの心理となんら変わるところはない。韓国が勝った試合のあと、小学生くらいの韓国人少年がうれしそうにテレビカメラに向かって「日本と戦って絶対日本に勝って欲しい」と語る姿を見て、なんだか空恐ろしい気がした。同様に、判定疑惑イコール韓国疑惑となって、真剣にプレーした選手たちへの敬意も忘れて韓国を許すまじと公言することも危険だと思う。国を愛する心をどのように育むか、それをどのように表現するか、お祭り気分だから何を言っても、何をしても許されるということではないと思う。

一方、Aで取り上げられたマスコミへの批判だが、私も疑惑報道に関しては確かに新聞の論調には奥歯に物が挟まったようなもどかしさを感じた。そして、日韓友好を基調とした美しい見出しがあふれていると思った。それらを読んだ私は、日本の人たちがみんなで韓国を応援してるなんて素敵、自国のチームが負けてしまった後、共催国が勝ち進んで目立つのはイヤだなと思う人は少ないのかな、などと「美しく」考えていた。だが、
「VOTEジャパン」というサイトで、「韓国勝ち進む!応援する?」という設問に対して、以下のような結果が出ている。(6月28日時点 [3])
・ 共催国の韓国を応援 263票 (5%)
・ 贔屓の国を応援 4,507票 (87%)
・ 日本以外には興味なし 386票 (7%)
という記事を読むと実際はかなり様子が違うことがわかる。これはお祭りなのだから、水を差すような報道は差し控えようというマスコミ各社の配慮なのかもしれないが、普段の溜息をつきたくなるような、日本のだめさ加減ばかりが強調された紙面づくりとはあまりに違いすぎないか。

百歩譲って、このイベントが成功裡に終わった点をマスコミが強調していると考えよう。だが、それだけがマスコミの役割ではないだろう。多くの人々が疑問視している点にも触れて、それをきちんと報道してほしい。せっかく始まった日韓の新たな時代なのだ。問題をうやむやにせずに、理解しあえる土壌を作っていかなければならないと思うから。  (July 8, 2002)

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