バグママ流・みてある記

そしてモンタルチーノ

一度は行ってみたい、長いことあこがれていた「イタリア・ルネッサンスの宝庫」、イメージと現実のギャップに幻滅するような気がして、なかなか足を踏み入れる決断ができなかったフィレンツェ。だが、そんな心配は杞憂だった。「花の聖母教会」「シニョーリア広場」「ポンテ・ヴェッキオ」「ウフィッツィ美術館」そして「フィエーゾレ」、今まで何度も目にしてきた名前は、どれも「あぁ、やっぱり来てみてよかった!」と私を納得させてくれた。(2000年9月)
ジオットの鐘楼からの眺め
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まずは、「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」、イタリアを訪れる人を魅了してやまないといわれるゆえんを正面ファサードで実感。街の規模に比して、教会自体、とてつもない大きさで、繊細な装飾を全面に施された外観は、まず白色のその白さが、街全体の明るい茶色を見たばかりの眼を釘付けにし、さらにピンクとグリーンがモザイクのようにその白さにアクセントをつけている。これが全部大理石と聞き、なおのことその凝った造りに圧倒される。
ブルネレスキ作のクーポラ、絵や写真で何度も何度も眼にした円蓋は、私たちの道しるべだった。町中をさまよいながら、目指す方向を決めるには、この巨大なこげ茶色のドームが常に目印だった。

ジオットの鐘楼、人一人通るのがやっとというような細い螺旋階段をどこまでもどこまでも上ってその最上階から街を、アルノ川の流れを、トスカーナの平野を眺めて、一気に全てを理解したような気分になったのは何故だろう。息を切らせて、何度も休みながら上った甲斐があった。遠くの稜線、糸杉がなだらかな緑のラインに高低と濃淡のアクセントをつけ、所々に往時を偲ばせるような邸宅が静かにひっそりと姿をのぞかせている。その風景はメディチ家の世界にわたしを誘うようだ。

フィレンツェは街自体が美術品。裏通りを歩いていても、人が大勢集まる美術館や歴史的建造物に匹敵するような、時のフィルターを経てなお生き続けるアートの心をかいま見ることができる。そればかりでなく、街のあちこちの教会で小さなコンサートが開かれている。たまたま通りがかった教会の奥から美しいパイプオルガンの響きが聞こえ、自然とそちらに足が向いた。ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」だ。足が釘付けになった。心の中の何かがすとんと落ちていくような、余計なことは一切はぎ取られた明快さが心地よい。

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フィレンツェの滞在をこの上もなくルネッサンスの気分で包んでくれたのは、ホテル・モナリザだった。ドゥオーモからほんの数分、小さな路地、表立てて看板など何もなく、唯一鉄の門扉の横にホテルのマークが。ルネッサンス時代の貴族の館をホテルに改装。個人の邸宅だった、その当時の雰囲気はホテルに変身しても損なわれることなく、居間や書斎といった共有スペースがふんだんにあるため、ともすると気分は遠い昔にワープ。朝食を摂るダイニング・ルームから鉄の格子がはまったガラスドアの向こうはオリーブの木やレモンの木、それにバラやゼラニュームなどが咲き乱れる中庭。まさに私の描いていたイタリアそのもの。ガーデンチェアが置かれ、毎朝朝食のたびに、午後はここでお茶しよう、手紙も書きたい、そう思って日にちは過ぎ、結局ここをさる前のほんのひととき、顔なじみになった厨房のお兄さんに紅茶を入れてもらい、イタリアの空とイタリアの空気、イタリアの古き良き時代の暮らしを偲ぶことができた。
滞在中、二日間ほどレンタカー。ホテルのフロントで予約してもらい、当日車がやってくるのを待っていたら、市内は道路が混んでいるので、オフィスまで来て欲しいから私の車に乗って下さい、と理屈に合わないような説明でアルファ・ロメオに乗せられる。くねくねとわかりにくい道を通って着いたオフィスで予約した車と対面。ルノーのクリオ。何日も洗車してないような、埃をかぶったまま、内部もさっきまで自分たちが乗っていたんじゃないの?と首を傾げたくなるよう。とはいえ、これで足を確保。近郊へ出発だ。

車じゃないと気づかなかったこと。それは、フィレンツェにもここオランダのナールデンと同じ様な形の要塞があるということ。(メディチ家が16世紀に造ったものだが、どうも外敵から守るためというより、市民の反逆を防ぐためだったらしい。) そして、この昔ながらの古都には似つかわしからざるハイウェイが外周道路として街をぐるっと取り囲んでいること。そのハイウエイの命名の方法が、たとえばフィレンツェ-シエナ間はFi-Si、フィレンツェ-ピサ-リヴォルノ間はFi-Pi-Li という風にまるで首都高速の羽横線や第三京浜、熱函道路(?)といった名付け方そっくりでおかしかった。

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車でまわった街は、ルッカ、ピサ、そしてシエナ、どこもそれぞれ趣が異なり、捨てがたい魅力があったが、せっかくだからトスカーナワインのワイナリーでも行ってみることにする。フィレンツェから南に60キロほど、森の間を抜け、平野を走り、干涸らびて固そうな大地を超え、丘の頂きに慎ましく横たわるワイン造りの村、モンタルチーノを訪ねた。

見渡す限り荒野と呼べそうな不毛の土地(あるいは造成中なのか)、シエナをすぎて、ローマ方面へ向かう一般道はBuonconventoを過ぎたあたりで、モンタルチーノ方面へ分かれる。行く手に小高い丘、緑の中に所々古ぼけた石造りの建物が見え隠れ、頂上あたりには目指すエノテカ・ラ・フォルテッツアのある城塞が聳えている。小さな村で、車だとトスカーナの平野を望みながらものの5分もあればぐるっと一周できてしまう。車を止めて、エノテカへ向かう間、道の両側に並ぶ各種商店の品定め。一通り生活に必要な店はそろっているし、店構えもそれぞれ遊び心があってすてき。小さいけれどそれぞれ自己主張をしている。いい感じ。

エノテカ・ラ・フォルテッツァは、眼下の平野を威圧するように崖っぷちに立つ城塞の一角に造られたワイン試飲所。洞穴のような暗さがまたいい。ここモンタルチーノはブルネッロ・ディ・モンタルチーノと呼ばれる最高級トスカーナワインの産地で、近隣にはワインの生産農家が大小さまざま200以上、ブルネッロだけでも年間400万本、その他ロッソ、モスカデッロ、サンタンティーモ合わせて350万本を生産している。私たちもさっそくそのブルネッロを注文、大ぶりのグラスに注がれたきれいな赤。野外に並べられたテーブルで、パンやチーズ、サラミと一緒に味わう。しっかりした味。ああ、し・あ・わ・せ。ブルネッロは最低でも5年寝かせないと飲めないそうで、私たちがのんだのも94年もの。ワインだったら何でも美味しい私は、ついでにロッソ・ディ・モンタルチーノも試す。こちらは値段が半分程度だが、これもいいんじゃない?

ここで、アメリカとカナダから来た夫婦二組と同席し、目が合い、おきまりの「どちらから?」に始まって、話に花が咲く。ワインが取り持つ縁か。しばらくおしゃべりをしていると、まるでお互い旧知の間柄のような気分になって、別れるときは「またどこかで逢いましょう」。芸術鑑賞や美味しい食べ物もよいけれど、人との触れ合い、これも旅のよい思い出だ。

Fiesole(フィエーゾレ)
最後の日は、中央駅からバスでフィエーゾレまで行ってみた。ミシュランには「丘の斜面には、オリーヴ畑や立派な庭園、糸杉の長く続く並木が広がっている。この坂道からは、イタリア・ルネッサンス期の巨匠達の数多くの絵に見られるような比類のない風景を眺めることができる」と書かれている。これを見逃す手はない。つづら折りの道をバスが上っていく間、私は窓に顔をくっつけるようにしてその「比類のない風景」にこれだこれだと納得。もっとも、私が納得したのは風景というより木の形、お屋敷の構えや門柱、ツタの絡まり具合などが私の想像していたルネッサンスだったということで、それが果たして「ルネッサンス期の巨匠の絵」に登場するのかどうかは未確認だが。
フィエーゾレのレストランから遙か遠方にフィレンツェを望む(霞んでなにも見えないけれど)

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