アネーゴの言いたい放題 これからの日本はどうなるの?
小泉さんて大化けするかも
小泉氏応援歌・第二弾


「アメリカの為のオリンピックって何?」
                                  ANEGO/JP
今、世間は宗男ちゃま&秘書問題一色。思い起こせば、参考人として外務官僚や真紀子女史と国会に呼び出されていた時、これで真紀子降ろしが成功したとばかりに、外務官僚と共にほくそ笑んでいた宗男ちゃま。ほんの2,3週間で自分の首に縄をかけられる羽目になろうとは予測もしていなかっただろう。離党の時の涙は自己嫌悪の涙だったのかもしれない。てなわけで宗男ちゃまや可哀想な辻元ちゃんの事を書くのが本筋なのだろうが、アネーゴは一筋縄ではいかない天の邪鬼。世間が「宗男ちゃま、宗男ちゃま」と騒げば騒ぐほど、他の話題に行きたくなる嫌な性格。皆様もへそ曲がりなアネーゴにおつき合いあれ。

今回のテーマは、宗男ちゃまで、すっかり忘れ去られた「ソルトレイク冬季五輪」のこと。あーあ、アネーゴの2月は、このオリンピックの中継で寝不足になるはずだったのに、盛り上がったのは最初の頃だけ。日本人がメダルを2個取ってからはさっぱり鳴かず飛ばず、夜中までテレビに齧り付く気力も無し。元々冬季五輪で日本が活躍すること等、期待してはいけなかったのである。それが前回の長野五輪で地元の利も働いて二桁のメダルを獲得してしまった為に期待ばかりが高まってしまった。終わってみれば、前半で里谷と清水の取った二つのメダルだけ。考えてみれば長野では金メダリストだった二人。その後、就職等で引退同然だった里谷と怪我を押して出場した清水、どちらも下馬評ではメダル候補ではなかったベテラン選手ばかり。長野からの4年間で若手の育成が全く出来なかったJOCの怠慢ばかりが目立った。アネーゴはそんな「ソルトレイク五輪」に三つの大きな不満を感じている。

(1) アメリカを中心とした北米圏の目に余るエゴ。
(2) IOC(国際オリンピック委員会)の情け無いほどの弱体化。
(3) JOC(日本オリンピック委員会)の外務省的な官僚体質。

以上の三点である。中でも(1)は、絶対に許せない。今回の五輪が「アメリカのアメリカによるアメリカの為のオリンピック」であった事は誰もが認める所だろう。この(1)については、後でゆっくり述べるとして、(3)から話を進めていこう。

今回、日本が送り込んだ大選手団(あえて大選手団と言う)の構成が肝心な選手より大会役員等の関係者の方がはるかに多かったという事実を皆さんはご存じだろうか。ユニクロのユニフォームや誰が金メダルに近いかなんて話題ばかりで、国民は全くと言ってよいほど、事前にはこの事実を知らされていなかった。こんな馬鹿げた話があるだろうか。長野で二桁のメダルを獲得し有頂天になったJOCは長野のご褒美とばかりに多くの役員や関係者を我々の税金を使ってアメリカに物見遊山に送り出したのである。その結果がたった二個のメダル。これではいくら「参加することに意義がある」という今や死語に近いオリンピック精神を持ち出して来ても国民は納得しないだろう。

ユニクロのユニフォームを身に纏って有頂天になっていた連中が、バブル期ならともかく、この不景気な日本の血税を無駄遣いしていたとは許せない話である。日本が完敗した結果についても、JOCは「世界の進歩がこれほど早いとは思わなかった」等と寝ぼけた事を言っている。こんなに多くの関係者が出向いているのなら、日本人選手に不利な採点が出たら抗議すべきではなかったのか。あげくの果てに宿舎のホテルで酔っぱらい、競技用のライフルで遊んでいて警察沙汰まで起こしている。銃社会であるアメリカに出向くのに、たとえ物見遊山だとしても、そんな当たり前の基礎知識も持たずに行ったのだろうか、呆れてものが言えない。こんな連中が日本の代表だなんて、アネーゴは許せん。

モーグルの上村愛子、スノーボードの中井孝治、ショートトラックでの不可思議な誤審。日本の若者達がアメリカの脅威に翻弄されている時、多勢の役員達は何をしていたのか。「抗議する方法を知らなかった。」では済まされない。これでは若い選手が育つはずが無いではないか。小泉氏の公益法人解体ではないが、JOC も一度解体して、出直しを図る時期だと思う。それも形式だけでは無く、全取っ替えが望ましい。

次に(2)のIOCの弱体化についてだが、これは前会長のサマランチ氏から新体制に引き継がれた直後のオリンピック開催という事もあって、何事に於いても強権が発揮出来ずにおろおろ、うろうろ。二年後の夏の五輪では「不公平さや不透明さが目立つ」という理由で採点競技が淘汰されている。

例えば、シンクロなどは、個人競技をカットして団体戦のみに移行する方針が決まっている。それが、冬季五輪ではIOCの弱体化にアメリカがゴリ押しした結果、採点競技が増えている。これが今回のオリンピックをここまでダーティなものにしてしまった一つの要因と言えよう。特にアメリカが金・銀・銅を独占したスノボー等は品位のかけらも感じられない競技である。会場はまるで正月の苗場のゲレンデ状態。アップテンポの曲がガンガン流れ、選手も茶髪に鼻ピアス、なかにはモヒカン刈りなんていう強者までいる始末。スノボー自体が悪いと言うのでも、若者文化を否定するわけでも無いのだが、五輪の正式種目とするのはいかがなものかとアネーゴは思うのだ。

歴史もまだまだ浅く、採点方法も確率されていないという点では、ショートトラックも同様で、今回の審判達の様に意図的(アネーゴにはそう見えた)に一国(アメリカ)の選手に肩入れしようとすれば簡単に出来てしまうのである。そんな競技がオリンピックの種目になっていること自体がおかしいと思う。そんなゴリ押しに、断固としてノーと言えない現在のIOCを弱体化と呼ぶのは当たり前だろう。そんなIOCの弱体化を幸いに、ソルトレイク五輪を私物化したアメリカこそが今回最大の悪者と言えよう。

そこで、最初の不満(1)へ戻る訳だが、今回の冬季五輪の開会式を見て「これは違う」と思ったのは多分アネーゴだけでは無いと思う。あのニューヨークの瓦礫の山から引きずり出して来たボロボロの星条旗をテレビ画面いっぱいに見せつけられた時の吐き気がする様な不快感。スタンドでその星条旗を見つめるブッシュの顔がアップで映し出された時、その表情を見たアネーゴは愕然とした。まるで恍惚状態だった。昨年9月11日のテロを世界中で忘れない為という説明が変に白々しかった。世界的に高まるアメリカのアフガン侵攻に対する批判の中、今も続けられているビンラディン捜しの穴蔵攻撃。それを正当化するためにアメリカはオリンピックを利用したに過ぎない。正に「スポーツの祭典への政治介入」以外の何ものでも無いとアネーゴは考える。嘗てソ連のアフガン侵攻に抗議し、西側諸国がモスクワ五輪をボイコットした冷戦時代。ボイコットの号令をかけたのは他ならないアメリカだったはずだ。同じアフガンが舞台とは皮肉な話である。

「オリンピックに政治を持ち込まない。」というオリンピック精神が、アメリカの脅威に根底から崩れ去った瞬間だった。しかも、「アメリカ=世界」という傲慢な考え方は開会式だけでは終わらず、随所に顔を出す。前にも述べたが、採点競技ではことごとく北米優位。アジアと旧ソ連系の国々は点数を低く抑えられた。あのフィギュアのペアのW金メダルにしたって、もし立場が逆になっていれば、つまり、最初に金メダルがカナダに決定していて、ロシアが抗議したのだとしたら、果たしてW金メダルなんて前代未聞の話が起こり得たかどうか。答えはNOだろう。フリースタイルスキーでロシアの点数が異常に低く見積もられ、抗議したが、門前払いだった事実を考えれば、答えはNOと言わざるをえない。

こうしたトラブルのほとんどが北米勢(アメリカ、カナダ)に有利に決着した。これがアメリカの言う平和の祭典だとするなら、アメリカという国の傲慢さは底知れないものがある。そして、その傲慢で強引なやり口はイベント面でも大いに発揮された。

例えば、フィギュアスケートの花とも言えるエキシビジョンもその一つだ。入賞以上の演技者が本戦とは違うプログラムで観客にアピールするエキシビジョンは、本戦では禁じられている範囲を超えての演技(宙返りやアイスダンスの選手がペアの様にリフトに挑戦したりする)がみもので、完全なショービジネスの世界である。そして、そのショーのフィナーレを飾るのがアイスダンスの金メダリストと相場が決まっている。しかし、ソルトレイクではその決め事までもアメリカの横暴で覆された。

女子シングルの金メダリスト、アメリカのサラ・ヒューズ(16才)が演技した後、通常は必ず応えるアンコールも受けずにさっさと引っ込んだ。体調でも悪いのかとアネーゴは本気で心配したのだが、最終演技者、アイスダンスの金メダリストのフランス・ペアがすぐにリンクに登場し、何事もなかったかの様に演技を始めたので、アネーゴもサラの存在を忘れてしまった。それぐらいこの二人の演技は素晴らしく、優雅で大人の演技に観客もアネーゴも魅了されてしまった。彼らはアンコールにも充分応え、後は演技者全員でリンクを回る本当のフィイナーレが始まるのだとばかり思っていたら、再度サラ・ヒューズが登場。衣装も変え、花束を手にしている。その表情は緊張で青ざめてすらいた。主催者側から回って来たメッセージをNHK(多分)のアナウンサーが読み上げる。「昨年、9月11日のテロの被害者に捧げる…。」それに合わせてサラの演技が観客の喝采で迎えられた。

しかし、本当にこの演出を観客は歓迎していたのだろうか。おそらく本気で喝采を送ったのはアメリカ人だけではなかったのかと思う。本当ならこのいかにもアメリカ的な栄光の演技をするのはミッシェル・クワンのはずだった。世界選手権を連覇中のクワンの金メダルを疑う者など試合前にはいなかったはずだ。それにしても五輪の舞台にはやはり魔物が住んでいる。今回もオリンピックに見放されたクワンはこのアメリカ的晴れ舞台も16才の新鋭、サラ・ヒューズに奪われた。但し、人種差別の激しいアメリカではクワンが演ずるよりも白人のサラが演じた方が、大衆受けは良かったのではなかろうか、アメリカにとっては嬉しい誤算という奴かもなどと、アネーゴはいらぬ憶測までしてしまう始末。それにしても、今にも泣き出しそうな悲壮なサラの表情は、「テロへの悲しみと怒り」と言うよりは急遽、身に降りかかった大役への重圧だったのではないだろうか。16才の少女をこんな形で巻き込んでまでテロへの報復を正当化させたいのかと、アネーゴはアメリカのエゴに悲しみすら覚えた。

あのテロ事件の時の報道の中で何度も繰り返された「パールハーバー以来」という言葉を再び思い出し、本土を攻められたことのないアメリカという国の本音を垣間見たような気がした。広島や長崎に落とされた原爆、あれはテロではなかったとアメリカは言うつもりなのだろうか。自国を破壊された経験の無いアメリカにとって、ビンラディンの死が確認されていないいという理由だけで無駄な血を流し続ける事が正義なのだろう。こんなアメリカの愚かさを大国ゆえに諌める事が出来ないのだとしたら、世界のどこにも良識というものは存在しなくなってしまう。ちょっと小難しい問題になると今でもパパリンにお伺いを立てないと何事も決められないブッシュのような小心者が、追い詰められ、開き直った時、手負いの獅子に成るケースが多い。こんな男を大統領に戴いたアメリカの悲劇がそこかしこに見え隠れするオリンピックだった。(3/22記)